軍艦島の世界遺産登録理由とは?名前の由来や登録までの流れも解説

2015年に世界遺産に登録された軍艦島。近年は観光スポットとしても注目を集めています。

この記事では、そんな軍艦島に関する、

・なぜ軍艦島は軍艦島と呼ばれているのか?
・なぜ軍艦島は世界遺産に登録されたのか?
・軍艦島が世界遺産に登録されるに至った経緯はどのようなものか?

等の疑問について、解説していきます。

軍艦島(端島)とは

軍艦島(端島)は、長崎県長崎市(旧:西彼杵郡高島町)にある約6.3ヘクタールの島で、海底に炭坑を有しています。

1891年に出炭し、採炭量が増加すると、採炭により出てくる“ボタ”で島の周囲を埋め立て、島は拡張されていきました。

島の拡張に伴い人口も急増し、最盛期の1960年には東京都区部の9倍もの人口密度に達しました。世界で最も人口過密な炭鉱コミュニティであったといわれています。

日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建造されるなど、一時は首都東京以上の賑わいを見せていましたが、1974年の閉山に伴って島民が島を離れてからは、無人島となっています。

なぜ「軍艦島」?

岩塊を取り巻く新たな土地は、高波から島を守るため、要塞のような護岸に囲まれました。

この、横から見たフォルムが軍艦「土佐」に似ていることから、端島は「軍艦島」とよばれるようになりました。

世界遺産としての軍艦島

ここまでは、軍艦島そのものや、名前の由来についての説明をしてきました。

さて、軍艦島の端島炭坑は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されています。ここからは、そんな世界遺産としての軍艦島について解説していきます。

軍艦島のうち、世界遺産は一部のみ

軍艦島の島内にはかつて、高浜村役場端島支所・小中学校・スーパーマーケット・病院・寺院・映画館・美容院・パチンコ屋・雀荘・スナックなどがあり、島はほぼ完結した都市機能を有していました。

中でも有名なのは、当時最先端だった30号棟の鉄筋コンクリート製の集合住宅です。

しかし実は、世界遺産となっているのは炭坑への入り口があった部分だけで、埋め立てられた部分にある建造物等は世界遺産ではありません。

「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の年代は、1850年から1910年までと決められているのです。

軍艦島の景観の重要な要素である、鉄筋コンクリート高層アパート群や学校、炭鉱施設の大部分は1910年以降に建設されたため、世界遺産の対象ではありません。

軍艦島が世界遺産に登録された理由

1890年代、西洋の技術や知識が、日本の文化や伝統に合う形で発展していきました。

軍艦島の端島炭坑でも、採炭に蒸気機関を用いる画期的な技術が初めて採用されたり、石炭を運び出すための港や鉄道網も整備され、石炭産業における総合的なインフラが整っていきました。

このように、「石炭」「製鉄」だけでなく「製鋼」「造船」などの重工業分野において、非西洋国である日本が急速に産業化し発展していった証として、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は世界遺産に登録されました。

なお、石炭産業に関わる施設や遺構が、文化財保護法だけでなく、港湾法や景観法なども組み合せて保護されていたため、文化庁ではなく、内閣官房の推薦によって登録されています。

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