軍艦島の世界遺産登録理由とは?名前の由来や登録までの流れも解説

世界遺産登録までの動き

前の章では、軍艦島が世界遺産に登録された理由について解説してきました。ここからは、軍艦島が世界遺産遺産に登録されるに至った経緯についてお伝えします。

軍艦島への立ち入り

軍艦島は、近代遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されてきました。しかし、建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されてきました。

2005年に報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子がメディア等で紹介されました。島内の建築物は、まだ整備されていない部分も多いものの、徐々に安全面での問題が解決されていくようになりました。

2008年に長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立したことで、2009年から観光客が上陸・見学できるようになりました。

ただし、上陸・見学のためには、

・風や波などの安全基準を満たしていること
・島の南部に整備された見学通路に限ること

などの条件を守ることが義務付けられています。

ちなみに現在、軍艦島上陸ツアーによる経済波及効果は65億円以上に上ると言われています。年間約150万人が上陸ツアーを訪れることもあるそうです。クルーズ料金は通常4,200円で、早割等各種割引もあるので要チェックですね。

軍艦島が世界遺産に登録されるまで

軍艦島への注目が集まる中、2006年には経済産業省が、軍艦島を含めた明治日本の産業施設を地域の観光資源として活用してもらおうと、世界遺産への登録を支援することを決定しました。

2008年には、暫定リストに掲載されていた「九州・山口の近代化産業遺産群」に、軍艦島も追加されることが決まりました。

世界遺産に登録されるためには、軍艦島を国の文化財にする必要があったため、2014年には国史跡として文化財指定されることになりました。これで世界遺産登録に必要な国の文化的価値付けが明確になりました。

一方で、翌2015年に韓国政府は、ユネスコやICOMOS、世界遺産委員国等に対し、軍艦島の世界遺産登録に反対を表明しています。

実際、5月20日に韓国の朴槿恵大統領は、ユネスコのイリーナボコバ事務局長と会談し、「歴史に背を向けたままの世界遺産登録の申請は、国家と国家の不必要な分裂を招くことだ」と述べ、登録反対を直接伝えました。また6月11日には、尹外交部長官が登録阻止のためユネスコ委員国を歴訪してまわりました。

これに対し、日本の世界遺産登録推進派は、超党派の世界遺産議連を結成します。そして、登録実現に向けて働きかけを強めるよう政府に求める決議を採択します。

最終的に、日本政府が韓国政府に対し「日本が徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」ことを約束し、軍艦島の登録が採決されました。

まとめ

軍艦島は、日本初の鉄筋コンクリート建造物が有名ですが、世界遺産に登録されているのは中心の炭坑部分だけなんです!

今は無人島になっていますが、長崎県の観光の目玉としても脚光を浴びています。上陸できるには幸運も必要ですが、ぜひ何度かチャレンジして足を運んでみてはいかがでしょうか?

明治から昭和にかけて日本の炭鉱業を支えた軍艦島を後世に残していくためにも、実際に遺産を訪問して、五感で味わってみてほしいです。

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